カードの効果で自己を表現する。
それはアニメ遊戯王に時折見られる展開であり、一般的なバトル系の作品では「異能で自己を表現する」ことに相当する。
特に主要キャラクターのエースモンスターの効果。
様々な例があるが、「この場面での効果の使い方には使用キャラのあり方そのものが仮託されている」と感じさせられるシーンが幾つか存在する。
その中でも特に「うまくハマった」「カッコいい」と自分が思っている3つのエピソードを取り上げたい。
能力による自己の表現が使うキャラクターのあり方そのものや物語上のアンサーと上手く重ね合わさった時、非常に印象に残るクライマックスが生まれる。
①スターダスト・ドラゴン
(5D's24話『ヴィクテム・サンクチュアリ 破壊を包む星となれ!スターダスト・ドラゴン』、不動遊星vs十六夜アキ)
http://takaoadventure.blog98.fc2.com/blog-entry-710.html
ついに二匹の龍が激突する!
こうしてエースカード同士が激突する場面ってのはいいものです
しかし今回の遊星のカッコよさは異常!
やけに台詞が熱いし、デュエルの中でアキを救おうとしてたし
わざわざ攻撃力の低いスターダストを召喚して会場の皆さんを守ってたし
一度のデュエルで2つも3つもの配慮をしていた遊星は
これまで以上にカッコ良かったです。
「何度でも受け止めてやる!全部吐き出せ、お前の悲しみを!」
とか遊星さんマジ漢!(真性のドМともいいますが…)
http://takaba1192.livedoor.blog/archives/2684202.html
・遊星の言葉
「楽しくないんだろ。苦しいんじゃないのか?」
「お前自身が変わる時がやってきたんだ。
お前を苦しめてきた破壊への喜び、その痛みが
同じ痣を持った俺たちが共有する痛みに変わってきたんじゃないのか!?
俺たちを導いたこの印、この痛みは何かを訴えている。
その答えを得るには自分で考えなければいけないんだ!
その答えをこの痣は持ってるんじゃないのか?
考えを預けるな!お前自身で考えるんだ!」
アキ「魔女の私が何を考える。ディヴァインが私を導いて 愛してくれればそれで…」
遊星「ちがう!お前がお前を愛するんだ!」
アキ「そんな事ができれば…できれば…
できないから苦しんでるんじゃないか!!」
アキ「フィールドの全てのカードを破壊する!」
遊星「何度でも受け止めてやる!全部吐き出せ!お前の悲しみを!」
ストーリーというか会話がデュエルの展開とかみ合っていていいですね…!スターダストの効果は主人公のエースモンスターにしては微妙だなと思ったんですが
全てを受け止める遊星には合ってると思う。
というか遊星が本当に真正面から全てを受け止めるので眩しすぎる。
最近の中の人のブログが遊星の事でテンション上がってるのも無理は無い。
(※引用箇所の台詞が一部間違っていたのでこちらで修正)
「主人公がエースモンスターの効果で自己を表現する」展開の中でも、おそらく最も有名かつ人気の高いデュエルだろう。
20thデュエルセレクション(公式の名デュエル投票)の5D's部門でも、1位~4位の他のデュエルが全て終盤から選ばれている中、番組初期のデュエルでありながら2位にランクインしている。
社会から孤立して悪い大人に利用され、悲しみゆえに暴れて周囲の全てを破壊しようとするヒロイン(の操る、「全てのカードを破壊する」効果を持つブラックローズ・ドラゴン)を、スターダスト・ドラゴンの「破壊を無効にする」効果で二度に渡り真正面から受け止め、自分だけが傷つきながら周りを守って破壊を防ぐ。
ごくごくシンプルで正統派の筋書きだが、そこにある台詞の熱量と主人公の真っ直ぐさがただただハイレベルであるために、シンプルだからこそ極めて印象的なエピソードになっている。
「(愛を語る悪い大人の言うがままではなく)お前自身がお前を愛するべきなんだ」と正論をぶつけつつ、それだけでは(今は)解決できない相手の苦しみがあることが示された上で、動じることなく真正面から引き受ける、痛みを分かち合おうとする姿勢。
それがスターダスト・ドラゴンの一見して主人公らしくない「守る」能力とシンクロし、厨二的でポエミーな台詞回しも「ただ者じゃなさ」を補強する方向に働き、「デュエルを通して相手に何かを伝えようとする」展開の代表例として完成している。
②No.62 銀河眼の光子竜皇
(ZEXAL135話『未来をこの手に!銀河決戦終結!!』、天城カイトvsミザエル)
(※アニメ効果)
http://fanblogs.jp/animeigen/archive/1986/0
大の字に倒れたカイト。
カイトを支えるオービタルも限界だ。そこへ遊馬との通信が繋がった。
ミザエルはドン・サウザンドとベクターの凶行を知る。
遊馬はミザエルを説得してデュエルをやめさせようとするが、
カイトは立ち上がり、デュエルでのミザエルとの決着を望んだ。カイト「遊馬、覚えておけ。
誰にでも必ず別れは来る。いつか突然に。
それはお前と…アストラルにもだ。
だから、俺で慣れておけ」これまでも幾度となく突然の別れが遊馬を襲っている。
その上でカイトは耐えろと遊馬を奮い立たせようとしている。
非情なる戦い。非情なる決着。それら全て乗り越えて前へ進めと。
カイト「いや、未来は…俺たちの
未来の光はまだ消えていないさ。
今こそ甦れ! 未来を操る光の化身!!
No.62 銀河眼の光子竜皇!!!」カイト「時を遡ることはできても
俺の未来を支配することはできない」
カイトは構わずプライム・フォトンで攻撃宣言。
ぶつかり合う永遠なる光子と究極なる時空。
そのさなか、ミザエルは自分の幼少期を顧みた。家族を殺され、故郷を滅ぼされ、荒野を歩き疲れ、倒れた幼ミザエル。
その手に1枚のドラゴンのカードが現れる。光り輝くドラゴン。
ドラッグルーオン、ジンロンとの出会いだった。
ミザエルはカイトに哀れむのはよせと言ったが…カイト「哀れんでなどいない。
最強のドラゴン使いは、お前だ。俺は、弟と親父を救いたい。
その一心でドラゴンを利用しただけだ。
ギャラクシーアイズの力を。だがそのたった1枚の
カードとの出会いが俺を導き、俺をここまで強くした。
俺はギャラクシーアイズに導かれ、遊馬に、
アストラルに出会い、凌牙に、たくさんの仲間に出会い、
そして、お前に出会うことができた。そいつらは孤独で、誰も信じることができなかった
この俺に、人を信じる力を教えてくれた。
なあ、ミザエル。もし次に出会えることがあったなら、
お前に何があったのが聞かせてくれないか」
こちらも20thデュエルセレクションのZEXAL部門で3位に入っており、今も語り継がれる人気の高い回だ。
特に「(いつか来る別れに)俺で慣れておけ」は強烈な印象を残し、カイトを象徴する台詞の一つとして扱われている。
この回のカイトは「自分にもう未来がないことを知りながら、なおも未来へ向かい続ける」姿勢を示し続けることで周りの心に影響を与えており、プライム・フォトンの「未来へ向かう」効果もその体現になっている。
この効果はミザエルのネオタキオンの「時を遡る」効果と対になっており、人を信じられずドラゴンとの絆に固執して前に進めずにいたミザエルとの対比にもなっている。
だがそれを単なる弱さとして切り捨てることはせず、逆に自分は結局のところドラゴンを利用したに過ぎないという己の弱さを告白し、ドラゴンとの絆が呪いと化してもなお信じ続けるミザエルの真っ直ぐさを汲み取って、その上で真正面から超えていく。
短いやり取りの中に凝縮されたものが非常に多いデュエルで、切なくも静かな希望が通低した独特の空気がそこにはある。
③ファイアウォール・ドラゴン
(VRAINS20話『ゆずれない正義』、藤木遊作/Playmaker vs 財前晃)
(※エラッタ前)
https://yugioh-resaler.com/2017/09/28/post-31371/
財前兄によって、データバンクには『ハノイプロジェクト』の首謀者の名前が記録されていることが判明しました。
当然聞き出したい「Playmaker」ですが、財前兄は「教えるわけにはいかない」と断固拒否。
財前兄は彼なりに「Playmaker」をこれ以上復讐の鬼にしたくはないとの考えがあるようですが、もうすでに火がついている「Playmaker」にはそんな言葉は響きません。
互いの思いは噛みあうことなく、デュエルは続行です。
「Playmaker」は唐突に「これは正義を貫くデュエル」だとつぶやきます。
これに反応した財前兄は自分の正義を貫く意思を見せますが、「Playmaker」はそれに対し「自分以外の正義は信じない」と断固拒否。
逆転をかけドロー!
これで「Playmaker」は攻撃が可能に!
ダイレクトアタックを決めれば一発で勝敗が付きますが、「Playmaker」は「デュエルはただ勝ち負けを決める道具ではない」と直接攻撃を行いません。
《リカバリー・ソーサラー》の効果で《ファイアウォール・ドラゴン》と相互リンク状態であった《セキュア・ガードナー》を蘇生し、《ファイアウォール・ドラゴン》の墓地のカードをバウンスする効果を発動。
相互リンクは2体分なので、墓地に存在する《ティンダングル・ハウンド》と《ティンダングル・エンジェル》を手札に戻します。
《ティンダングル・ハウンド》または《ティンダングル・エンジェル》が墓地にいると1体につき1500ポイントアップしていたので、どちらもいなくなった今、《ティンダングル・アキュート・ケルベロス》の攻撃力は0に。
そしてバトルフェイズ。
《ティンダングル・アキュート・ケルベロス》への《ファイアウォール・ドラゴン》の「テンペスト・アタック」が決まり、「Playmaker」の勝利となりました。
「Playmaker」は財前兄に今後一切この件から手を引くように言います。
「なぜあの時ダイレクトアタックしなかったのか」と財前兄は満身創痍ながら尋ねます。
《ティンダングル・ハウンド》と《ティンダングル・エンジェル》がお互いをかばい合う姿に財前兄妹の姿を重ね、墓地に眠っていてはいけないと判断。
「俺の復讐に引きずられて闇に落ちる必要はない。お前たちは光さす場所を歩いてくれ」と臭いセリフをはいてその場を後にします。
前に挙げた二つに比べるとややマイナーな回だが、個人的にはそれらに劣らない。
あまりにも主人公エース向きじゃないコンボ前提の複雑な性能、この回以外での活躍の無さ、結局禁止カードになりエース降板とネタにされがちなファイアウォール・ドラゴンだが、この回だけは効果がきっちり作劇に活かされている。
遊作という主人公は先に挙げた遊星やカイトと比較すると自己犠牲カラーはあまりなく、「あくまでも自分自身のための個人的な戦いを貫く」ことに特徴がある。
それがここでは「真っ当な大人の優しさを拒絶して自らの戦いを貫きつつ、しかし決して単に無視して終わりではなく、自分自身の戦いを貫くからこその優しさで返す」という形で現れている。
「相手の墓地のカードを相手の手札に戻す」という珍しい光景だが、遊作のこの行動には、
1.晃の切り札であるアキュート・ケルベロスの攻撃力を下げ、直接攻撃ではなく相手のエースを戦闘破壊して完全勝利する
2.辛辣な態度を取ってはいるが決して単なる復讐鬼ではなく、目の前の相手をちゃんとよく見ていることを示す
3.幼少期に誘拐・監禁されてデュエルを強要された悲惨な過去があり、復讐の動機にもなっているのだが、それでもなおデュエルを愛しデュエルは単なる戦いの道具ではないと語り、自らの行動でそれを証明できる
と、一つのアクションに多くの意味合いやメッセージが詰まっている。
この回でのデュエルに関する理念が以降の展開でも続いたかどうかは怪しいところではあるが、この回だけでもファイアウォール・ドラゴンが遊作のエースを務めた意味はあったと言えるだろう。
「相互リンクしているモンスターの数だけ好きな場所にバウンスを放つ」効果は「繋がりの数だけできることが増える」能力でもあり、わかりにくいがVRAINS全体のテーマである「繋がり」を表現するものにもなっている。