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ニューダンガンロンパV3 ネタバレ再プレイ感想 ~「希望と絶望」の向こうへ~

 Switch版ダンガンロンパシリーズが秋のセールで各作品1500円(通常時でも2000円)になっていたため、最も印象深いシリーズ最終作「V3」を再プレイ。

 膨大なクリア後要素や親密イベントもあるがそれはとりあえず後回し、EDまで通しで読み終えたので感想をまとめておく。

 作品の核心に関わるネタバレを含むため、避ける場合はブラウザバック推奨。「1」「2」のネタバレも一部含む。

(買ったのはV3単品のSwitch版だが、貼り付けるものがなかったためこちらで)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全体のテーマについて

 

 


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・「希望」とは何か。

・結論から言うと僕はこの作品の終わり方に肯定的である。この終わり方でシリーズを完結させたままで良かったと思う。一方で、この結論を額面通りに受け取るのもそれはそれでどうかな、と思っている。

ダンガンロンパというシリーズは「前作の二番煎じにはしない」を毎作強く意識している。「1」で苗木誠というプレーンな主人公のもと「巨大な絶望を希望で越えていく」という王道を一度やり終え、絶望の親玉も「1」の時点で倒して一つのピリオドを打った。

 だからこそ、「希望と絶望」テーマでここから先は何をするのかという課題に直面した。「2」は「1」と比較して内向的で陰鬱な作風となった。「1」の主人公達も味方寄りのポジションで再登場するものの、「2」のキャラと完全には利害が一致しない。最後の結論は「希望も絶望も肯定し、両方を抱えて未来へ向かう」というものだった。

 そしてこの「V3」。「1」より「2」に近い内向的な作風でありつつ、6章で「2」の展開パターンからも外れた。最終的な結論は「希望も絶望も否定し、既存のルールを終結させる」。そして超絶自虐のセルフシリーズ否定だった。

・改めてプレイして思ったこととして、「ハッピーエンドとバッドエンドの二択」「希望と絶望の二択」に持ち込みたくない、という意志を強く感じた(これは匂わせとかいうレベルではなくそのものズバリそう言っている)。これは普通に理解できる。前作の二番煎じに甘んじない志があるなら当然だろう。

・一方で、「希望」のレンジをどう取っているのか(希望と絶望の二択を拒否して主人公たちが打ち出した主張。外の世界全て・今までのシリーズ全てを敵に回してでも仲間たちの死を嘘にしたくないという意志。これはこれで彼らなりの「希望」ではないのか?)。

 最終的に言い出すのが「フィクションだって世界を変えられるんだ」ならやはり、というかだからこそダンガンロンパには意味があったのでは?

 等、どこまで製作側の中で考えが整理されているのか怪しい部分は多々ある。だからこの結論を額面通りに受け取るのも危険かなと思った。

・個人的に惹かれたのはそれよりも「嘘」というテーマを貫徹したこと。「謎のままにしておいた方が面白いこと」を最後まで謎のままにし、世界観の神秘性と可能性を保とうとする姿勢だった。後述する王馬小吉のキャラ性もそうだし、物語全体の真相も然り。

 6章でのラスボスのオーディション関連の説明はプロローグの描写と露骨に矛盾しており、そのことがエピローグでわざわざ指摘もされていた以上、ラスボスの説明も嘘を含んでいるのはほぼ確実。本当は「1」「2」の世界観と地続きだったのかもしれないし、地続きでないとしてもコロシアイをリアルフィクションとして消費する世界ではどうもなさそう。

 それらを全て謎のままにして可能性を残し、そして謎を謎のままにすること自体を肯定する姿勢が非常に肌に合った。

・僕がこの「終結」を受け入れられたのは、ダンガンロンパのセルフシリーズ否定でありつつダンガンロンパをやり切った、完全燃焼した感がしっかり得られたからでもある。

 V3という作品は、他のキャラの犠牲を礎にして(悪い言い方すればメタ的には他のキャラを生贄にして)強くなった主人公の描写にシリーズで最も気合い入った作品でもある。

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 これは最終的な主張として出てくるセルフシリーズ否定と自己矛盾を起こしていると言ってもよく、やはりどこまで製作側が自覚的なのか怪しい部分はある。

 だが個人的にはだからこそ「これで終わりでもいい」、6章前半までの熱い流れと最原終一周りの「真の主人公」ギミックで「ダンガンロンパをやりきった」「完全燃焼した」と思えた。

・なんとなく全体通して感じたこととして、セルフシリーズ否定とはまた別に、「希望は前に進むんだ!」的なメッセージへのセルフ懐疑、「俺たちは真っ直ぐじゃなくていい」「本質的に前を向いてさえいれば屈折してたっていい」的な思考が作品全体に漂っているように感じた。

 1章での「無理だとわかってる状態での諦めるなはしんどいだけ」に始まり、2章クロの「諦められずプライドを捨てて逃げる」という行為を最原や百田が否定しなかったこと、嘘つきの王馬や陰キャの最原だけでなく牽引力があるタイプの赤松や百田も嘘や隠し事を否定しない(なんなら積極的に使う)こと。

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 弱いままでいいとは言わない(いつか直面する問題はどこかで容赦なく突きつけるし、助けてくれた人もどこかで容赦なく居なくなる)一方、常に正面から立ち向かえとも言わないこと。

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 そして、「何もかも一人で背負い込もうとするな」「仲間を頼れ」と最後まで最原に言い続けた百田自身が、誰よりも苦しいことを一人で背負い込み続けていたこと。

・最終的に「希望なんかがあるからいけないんだ」「僕はこの希望を否定する」とまで言っているが、実際のところはそう言った方がキャッチーだからそう言ってるだけで、作品全体の傾向としては希望の懐疑ではあっても希望の否定ではないのでは、と感じた。

 1では「希望」、2では「未来」、V3では「終結」とそれぞれ異なるキーワードを使っているが、最終的に(1の最後の裁判前のモノクマの)「明けない夜はないよ…真っ暗な朝だけどね! 止まない雨はないよ…干ばつ状態になるけどね!」を叩きつけた上で、それでも主人公たちが自分なりの結論を出し、未来が約束されていない暗闇の荒野へ踏み出すという終わり方は全ての作品で共通している。

 

 

王馬小吉について

 

 


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・王馬小吉というキャラは個人的に、自分の中での悪役の理想型の一つ(悪役ではないと考える人もいるかもしれないが、僕はやはりこのキャラの基礎は「悪役」だと思う)。

・「2」の狛枝凪斗に対応するトリックスターポジションだが、狛枝とは違ってガチめに怖く描かれた顔芸が沢山出てくるのがこのキャラの本質をよく現している。

 ホラーの文脈を含んだキャラであり、何が嘘で何が真実か「わからない」から生じる恐怖と神秘性をコンセプトに持っているということ。そして何よりそれを最後まで貫き、「嘘の体現」と作中で評された通り、最後まで誰にも彼の正体を掴むことができなかったこと。

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・「底知れなさ」を保ったまま駆け抜けていった悪役が好き。作品全体のテーマが「嘘」で、最後まで解けない世界観の謎が残ったのと同様、「嘘つき」を体現する王馬にも最後まで数々の謎が残っている。

 3章の「立場上春川の正体を知ってた」発言は嘘なのか真実なのか、「人を殺さない・笑える犯罪」という「ラスボスから与えられた設定」と実際の王馬の行動が乖離していたのは何故なのか、なぜ研究教室があんな場所にあって天海の生存者特典にも載っていなかったのか、ラスボスや天海との間に劇中で明かされていない関係があるのでは、等。

・個人的に、王馬について「本当は良い子」解釈はしたくない。

 もちろんそう解釈される余地を製作側が意図して作っているのは確かだ。しかし間違いなく彼の本音と言えそうなシーン(1章処刑前、4章処刑後に最原に突き離された時の反応、5章の……)に一貫するものが何かを考えてみると、王馬の根底にある動機は結局、ごくシンプルである意味子どもじみた「つまらなくないことがやりたい」「遊びたい」なのではないか。ただ「遊ぶこと」に対して徹底的に本気なだけだ。4章で犠牲にした二人に対しても良心の呵責など持っていないし、持っていたらつまらないと思う。

 ただ、結局何が本心なのか誰にもわからない神秘性こそが魅力のキャラであるため、そこをはっきりして欲しいとは思っていない。

・この手の「善悪は関係なく自分の考える面白いことがやりたいだけ」系トリックスターは、実際に客観的に見ても「面白い事件」、「仕組んだ人物の頭の良さと狂気的な“動機”を感じられる事件」を起こし続けられたかに懸かっていると思う。

 2の狛枝も1章と5章、特に5章で絶大なインパクトを残した。王馬の場合は4章で周りのキャラ及びプレイヤーの度肝を抜き、5章の命を使ったギャンブルで悪役にも関わらず自らの希望を証明し、最後までホラー顔芸と神秘性のヴェールを取らずに勝ち逃げした。

 4章では「善悪に囚われないトリックスターだからどこまでも悪意的になれる」という一面、5章では「善悪に囚われないトリックスターだから既存の対立構図の外に出ることが簡単にできてしまう」という一面を示したと言える。

ダンガンロンパの事件は「骨子はシンプルだが発想の盲点を突いてくる」「関わってくるキャラの“動機”に重点を置く」傾向が強い。

 「殺そうとしたのは被害者で返り討ちに遭った」「失敗した計画に別の人物が便乗した」「被害者自身が自らの死を計画に組み入れていた」等、一つの事件で複数のキャラの“動機”が絡み合うこともしばしば。事件を仕組んだ人物=クロ(実行犯)とは全く限らない。それは事件の内容を興味深く面白くするためであると同時に、事件の真相と解き明かし過程がキャラクターの自己表現も兼ねているためだ。

 各事件に関わってくるキャラの“動機”(必ずしも殺意とは限らない)は、各キャラの“願い”の言い換えとも言えよう。そしてそれを解き明かす過程で、探偵役とクロ(またはクロでないが様々な“動機”から探偵役と対立するキャラ)の願いと願いのぶつかり合いが描かれる。

・その上で、2-5の狛枝とV3-5の王馬は仕組んだ事件を通して完璧に自らの希望を表現しきって駆け抜けていった感が強い。動機とトリックが連動した命がけのギャンブル。悪辣なトリックスター悪役にも関わらず、自らの命の使い道を見つけて願いを叶えていった魔法少女のごとき物語的爽やかさがある。

 だからこそ、4章の時点では王馬を嫌っていた最原も、5章の事件を通して「嘘を体現した存在」と王馬を認め、「嘘の肯定」「命を使う」「ルールを利用してルールに叛逆する」という王馬の要素を(明確にそうは言わずとも)受け継いで最後の戦いに向かっていったのである。

 

 

最原終一について

 

 


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・本当の意味で「大切な人や恩人の死を無駄にしない」とは、「受け継ぐと同時に超えていく」「対等になる」ことだと教えてくれる主人公。

・赤松が主人公のままだったらV3はいつも通りの希望vs絶望の二択で終わっていたのではないかという意見を見たことがある。

 赤松は赤松で漆黒の意志めいたものを持った主人公だし、そうなる確信があるわけではない。だが6章でラスボスに「所詮は弱かった探偵」と評されてからの、「今でも僕は弱い。仲間の支えがなかったら何もできなかった」「でも、弱くて迷うからこそ“希望”の残酷さに気付くことができたんだ」を見ると、確かに製作側の意図としてもそういうものはあるのだろう。

 自らが探偵であることに自信を持てずにいた陰キャで、赤松や百田のような人を引っ張る牽引力をずっと持っておらず、「本来は主人公ではなかったはずの主人公」だからこそ、希望vs絶望の二択の向こうにたどり着くことができたという意図が。

・弱かった探偵の陰キャ主人公といっても、推理力は最初から高いし行動力もある(「時に手段を選ばない」も陰キャ主人公っぽい個性だと思う)。赤松や百田の背中押しを必要としつつも、毎回なんだかんだ事件に決着をつけて周囲からの信頼を勝ち取っている。

 背中を押してくれる仲間がいるから悲しみにも立ち向かえる。3章まではそうして少しずつ1章の悲しみから立ち直り、自分に自信を持ち始め成長していく物語だった。4章の捜査までは毎回異なるパートナーと一緒に捜査をしていた。

 だが、この作品は「いつか直面する問題」をどこかで容赦なく突きつけてくる。赤松の言葉に従い真実に立ち向かう探偵という自らの個性と、百田の「信じたいから信じる」やり方が常に一致するとは限らないという、当然と言えば当然の問題。

 ずっと誰かの背中を追いかけているままではいられない。4章の裁判からは孤独な戦い、自立の戦いだった。

 引用させていただく。

https://ameblo.jp/f-m-hollow/entry-12448265192.html

百田はゴン太が犯人だという可能性を「話し合う価値すらねー!」と断じます。

最原は信じるか信じないかだけでは今回は勝てないと思っている。

話し合いだけはするべきと主張。

王馬は最原が自分の意見に賛同していると勘違い。

探偵として立ち直れたのは百田のお陰なのに、そのせいで探偵として“疑う”気持ちを強くしたとか語ります。

泣きながら訴えるゴン太。

此処でキーボが話し合いだけはするべきだと最原の意見に賛同。

まだ、百田は意地を張って王馬の狙いだと喚く。

意見がパックリ割れたと判断したモノクマがお待ちかねの“変形裁判場”を発動させる。

 

尚も続ける王馬に限界が来たのか百田が「もうやめろっ!!」と絶叫。

「オレはテメーみたーに胸クソ悪い真似までして、

生き残りてーとは思わねーんだよ。」と大問題発言。

尚も王馬は口撃を止めません。

春川が参戦して不穏な空気に。

彼女はマジで殺せてしまいますからね...

まだ「知らない」「わからない」しか言わないゴン太。

此れに最原が違和感を覚える。

ゴン太が『わからない』と言い出したのはプログラム世界からログアウトした後。

プログラム世界で何らかの異変に襲われた可能性が浮上。

アバターに関するエラーが関係していると思われる。

其の肝心のエラーとは...

 

最原は知っています。

屋上から館の外に直接降りる方法を...

その時のゴン太の「・・・え?」は泣きそうになります。

プログラム世界での記憶が無いので、百田のフォローに自分が犯人ではないという喜びからの絶望...

推理をしている最原の苦悶の表情にも思う所があります。

「・・・終一、テメーはどっちの味方だ。」と百田。

助手じゃなかったのか?と理不尽な事を言い出す百田。

ちんけな推理を打ち破って目を覚まさせてくれるみたいです。

 

百田が沈黙...

王馬が其れこそ鬼の首を取ったようにゴン太を追い詰める。

ゴン太はなんでそんな酷い事をしたのかを気にしていたのですが、王馬が容赦なし。

「だからさ、泣く前にさっさと自分の犯行を――」

 

「・・・やめろ。」と最原。

鋭く冷たい声でした。

「お前なんかに・・・やらせない。

ゴン太くんに自分の罪を認めて貰うのは・・・」

「・・・僕がやる。」

悲痛な決意にも似た宣言。

震えました。

 

さっきとは打って変わってとても優しい声でゴン太にもう1度事件を振り返って説明するから納得できたら終わりにさせてくれと言います。

号泣しながらゴン太が其れを了承。

 V3という物語全体のターニングポイントが4章だ。

 「テメーを信じてるぜ」「いつでもオレを頼れよ」とずっと言っていたにも関わらず、いざ最原が自分の意に反する行動を始めると怒り出してしまった百田の生々しい欠点が描かれた回でもある(このことがあってもなお「テメーは一人じゃねえんだ」「仲間を頼れよ」と最後まで最原に言い続け、その実ずっと苦しいことを一人で背負い込み隠し事を続けていた百田からは、全体的に「父親っぽさ」を感じる)。

 そしてそんな百田を尊敬しつつも自分の頭で考えることを決して放棄していない、真実に立ち向かう探偵という自らの個性を忘れていないのが最原だった。支えになってくれた百田をも超えて自らの道を見つけていくための戦いがここから始まる。

 辛い真実と向き合うこと、クロにしたくない人をクロにすることを強いられるのは1章と同じだが、4章では背中を押してくれる人がいない。むしろ敵に回っている、かろうじて地味強のキーボが味方してくれたくらい。

 人と人が完全にわかり合うことは不可能だし、助けてくれた人もいつかはいなくなる。最終的にはどこかで自力で結論を出さなければいけない。弱さを否定しないのと同時に、そこから逃げることも良しとしない。

 それが4章から5章にかけての流れの根底にあるものだと思う。5章もやはり最原にとって孤独な戦いであり、王馬及び百田との決着、そして孤独な戦いの中で最終的に何を信じるかが試される局面だった。

https://ameblo.jp/f-m-hollow/entry-12453793968.html

すべての真実とその目的がわかった超高校級の探偵。

自身の推理を信じ、百田解斗を信じている。

ここから先は推理ではなく、探偵じゃない最原終一として百田をどこまで信じるか...

投票の前に最後の話し合いを提案する。

どうしてもみんなに言っておきたい事があるから付き合って貰うと強引に行きます...

 

―ノンストップ議論(嘘コード)

 

最原提案で始まった議論。

エグイサルの正体を話し合うのですが...

「王馬が死んだ」という事を偽証します。

死体発見後に王馬を目撃して、嘘を吐かないと皆殺しにすると脅されて、今まで嘘を吐いてたという筋書きです。

百田が皆を陥れるような真似をする訳がない、きっと救う為に命懸けで学級裁判を台無しにしようとしている。

百田がやろうとしている事を信じると決めたみたいです。

みんなに百田に投票しないように促す最原。

静観していたエグイサルが口を開きます...エグイサルに口があるかは解りませんが。

「もういい!やめろ!」と百田の声。

「これで終わりにしようぜ」とエグイサルから降りる百田解斗。

もしみんなが間違えてモノクマが正解してしまったらおしおきを受けてしまう...

そんな事はさせられないと姿を現しました。

最原の推理を褒めつつ、王馬を殺したのは自分だから絶対に間違えるなと皆に言い、モノクマに投票タイムを促します。

 

事情の説明が終わり、最後に最原に謝りたいと百田。

今までみんなを救ってきたのは最原の探偵としての能力。

そんな最原があまりにもカッコいいから悔しくてついてきつく当たったと嫉妬していた事を告白します。

「悪かったな・・・」が何か切ないです。

然し最原は否定します。

百田が『責任はすべてオレが負う』と言ってくれたから自信を持てた。

百田が声を掛けてくれたから立ち向かえたと言ってる最中...

 

 5章の裁判における最原の最後の偽証は、初見時「真実を全員の前で明らかにした後にそんなことをしても無駄なのでは……」と思ったし、作中でもその場にいた誰も真に受けていないのだが、改めて見ると百田との決着はこれ以外にありえなかったと思う(実際、結局のところこの行動が百田の姿と真意を引きずり出す結果になっている)。

 4章での百田との衝突を経た上で、それでも百田がみんなを想っていることを信じてる、百田の「信じたいから信じる」を大切にしたいという姿勢。

 ただ単に百田の行動をそのままなぞろうとするのではなく、真実を求める探偵という自らの個性を根底に置いた上で、赤松に言われた通り真実から逃げずにきちんとたどり着き、その上で百田の「信じる」要素によって真実の先にある運命を選び取ろうとする。

 6章では赤松も百田も王馬もいなくなってしまったが、最原がラスボスに戦いを挑むために開いた学級裁判には赤松・百田・王馬の全員のリベンジの要素があり、後半の「真実にたどり着いた上でその向こうに手を伸ばす」戦いはやはり5章までの文脈の延長上で、そして赤松や百田と同じセリフを今度は自分が仲間たちにかける側になる(ここで口にするセリフは赤松や百田が最原を勇気付けるために一対一で言ったもので、仲間たちは赤松や百田の言葉だと知らないのが良いと思う。その方が「自然と受け継いでいる」「いちいち再確認せずとも彼らが常にそばにいる」感が強いからだ)。

 

 

 


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 大切な人や恩人から何を受け取り何を教えてもらったか、自分自身の個性は何なのか。それぞれがキャラの中で整理・言語化されて一貫し、己の強みを保ったまま恩人の要素を自らの血肉にしていくのを繰り返して、「自分だからできること」へと行き着いていく。

 ダンガンロンパは一見して悪趣味の塊のようなシリーズだが、最原終一という主人公を作り上げた方法論は極めて念入りかつ直球の「王道」そのものだったと思う。王道をやり遂げるためにこそ大胆な発想が必要になる。